マヤ暦認定アドバイザー・ヒロコのプロフィールをご紹介します!

Respiration代表 マヤ暦認定アドバイザー
ヒロコ(飯田 浩子)
1976年1月9日生まれ 山羊座
北海道出身/ 札幌市宮の森在住/ 道内医科大学卒
- 一般社団法人シンクロニシティ協会 シンクロニシティマヤ暦アドバイザー
- 国際レイキ普及協会3rddegree修了 レイキヒーラー
- スタジオヨギー公認・ヨガニドラ認定講師 ヨガインストラクター
- 全米ヨガアライアンス RYT200認定講師
- 看護師
- 助産師
看護師時代
大学卒業後、北海道内の市立病院にて小児科看護師として勤務。
「子供が可愛くて大好き」という理由で希望した部署で待っていたのは「病気を持つ母親の気持ち」と向き合うことの学びと苦悩でした。
入退院を繰り返す子供達は、注射や点滴、苦痛を伴う検査で、かわいそうな気持ちはあったのですが、それよりも印象深かったのは、病気の子供達と24時間共にする母親の気持ちです。
「どうして私の子供だけこんなことになったの?」
「なぜ私の子供がこんな辛い検査を我慢しなければいけないの?」
「健康に産んであげられなかったのは自分のせいだ!」
そんなふうに、自分を責めて前向きになれない母親をたくさんみてきました。

また、
「どうして付き添いをしなければいけないのは私だけなの?」
「どうしてパパは何も手伝ってくれないの?」
「どうして私だけこんなに辛い思いをしなければいけないの?」
そういった、夫への不満も多く聞いてきました。
そんな小児科看護師時代を過ごし、
医療への関心よりも、子供と親の関わり、夫婦の関わりについて考えさせられる機会が多く、
この世の悩みや苦しみの大半は、人と人との関わりから生じることが全てなのではないか?
そう思慮するようになります。
育児のために退職
小児科、産婦人科の看護師経験を経て5年。
2003年に長女を授かり、育児に専念するために看護職を退職しました。
実際に育児を経験をし、ようやく育児が大変だということを身をもって知るようになりました。
自分自身が未熟だったので、自分の理想を押し付けてしまった時期もありました。
もちろん小さな子供とはいえ、意志がしっかりしていますから、子供なりのやり方で抵抗します。
今考えれば、自分の子供とはいえ、違う人間だということも理解しておらず、なかなか言うことを聞いてくれないことに関して、自己肯定力が低下しました。
「私はダメな親だ。」と。
自己肯定力が低いのは、人間の心の問題を解決すれば楽になるのかもしれない。
その思いから、自己の存在そのものを大切にできるような学びに、以前よりも、より深く興味を示すようになりました。
自己肯定力の低さからさまざまな学びにチャレンジ
はじめにチャレンジしたのはヨガやピラティスです。
ヨガやピラティスに夢中になると、育児の辛さを忘れて気分転換になります。
しかし、ここで抱えた悩みは「比較」です。
体型や能力に差があるのは当然のことですが、当時は受け入れることができずに、自己肯定力がますます低下。
人より頑張らなくてはいけないと、無理な練習をし身体を痛めつけてばかりいました。
頑張っても頑張っても満たされない、自分の心の奥底に棲みつく真っ黒な闇。
自分は一体なんなのだろう?
自分の心地の良い場所はどこなんだろう?
なぜ自分のことなのに、自分が楽な生き方を選択できないのだろう?
30代は自問自答の繰り返しと、ますます大変になる育児で、誰にも助けを求められない性格だったので、過呼吸を起こしたり、病気を患ったり、自分自身はもう限界まできていました。
そんな中、2015年、39歳の時にマヤ暦に出逢います。

マヤ暦との出会い
2015年、いま振り返れば約束を果たしにきたかのようにマヤ暦に出逢います。
私の中で自己肯定力を高め、自分の存在そのものを大切にするきっかけになったのはマヤ暦です。
マヤ暦が私に教えてくれたこと、それは、自分の行動や思考、悩みの原点を知ることが大切なんだよということでした。
自分のこんなところが嫌なのに変えられないクセなども、マヤ暦を学ぶことでどんどん解決されてゆきます。
自分はあるがままの自分で良かったのに、自分の器以上のところまで無理をし、目指す癖などもマヤ暦を紐解くことで解明されてゆきます。
次第に自分の嫌だったことも受け入れて、自分を許し、自分はこのままで良いのだと許可するようになり、自分の存在そのものを受け入れることができるようになってゆきます。
育児で休職していた医療機関からも声がかかり、ヨガやピラティスの活動も盛んになってきます。
マヤ暦を広めようと決めた途端に、セッションの依頼もどんどん入るように。
全ての活動がとてもうまくいくようになっていました。
そんな私は、少し調子に乗っていたのかもしれませんね。
転機が訪れます。
転機とこれからの活動
そんな最中、2019年、事故で右半身が不自由になり、それまでの活動のほとんどができなくなるという事態になりました。
医療現場に戻ることができたのに、もう注射を操作することもできないし、字を書くこともできない。
また自己肯定力が落ちてしまいました。
ただ、自分に何が起こっても自分は自分で、自分という存在を脅かされるということはないと教えてもらったのはマヤ暦があったからです。
もちろん、動揺し落ち込みましたが、マヤ暦の教えだけは私の心に深く刻み込まれていました。
マヤ暦で答え合わせをすると、右半身が不自由になったことは、すでに準備されていたこと。
この事態をを乗り越え、有難い学びだということを受け入れ、チャンスという捉え方ができるようになるまでに時間はかかりませんでした。
実際これは大きな転機でありチャンスであり、この事故があったおかげで、人生は私が心から望む方向に一転したのです。
起こること全てが自分にとってはこの上ないギフトで準備されていたことだと気づいた途端、心の中はいつでも穏やかで焦ることはなくなりました。
体の不自由も痛みも乗り越えて、懸命のリハビリで、2022年からマヤ暦講座を再開することができました!
この手で字を書くことも可能になりました!
多くの方に、マヤ暦お手紙セッションとともに、マヤ暦の素晴らしさをお伝えできると思うと、嬉しくてたまらない今を過ごしています。

My Dream
- マヤ暦で札幌を元気にすること
- 自分のことが大好き!といえる人を増やすこと
- マヤ暦を通して繋がったご縁が広がること
My Favorite
- ラーメン
- スープカリー
- サッポロクラシック
- フライト
全ての方へのメッセージ
人は皆、自分にしかない役割や持ち場を携えてこの世に生まれると思っています。
他人を羨み、その人のフリをして生きる代わりに、自分の欠点も長所も丸ごと受け入れて、自分らしさを大切な原点として人生を花開かせていくことこそが、真の満足感を生むのではないでしょうか?
自分の心地よさを選んで生きるお手伝いをさせてくださいね。
いつでもご連絡をお待ちしております。
ヒロコ(飯田浩子)